■神経症とは何か?


    神経症とは,精神的原因(心因)によって精神的症状,あるいは身体的症状が引き起こされた状態をいう.精神病ではない.
 

  神経症者の心理の根本には,身体的生命あるいは社会的生命など,個体の生命・生存が脅かされたときに生じる「不安」があり,これがそのままの形で,あるいはいろいろと形を変えて表現されている.

 

 「われわれの人生は困難なものである.これは偉大な真実,最も大きい真実の一つである.ひとたびこの事実を悟れば,それを超越することができるという意味で,それは偉大な真実なのである.一旦この真実を理解して,それを本当に受け入れるならば,人生はもはや困難なものではなくなる.大抵の人は,この真実を十分にわかってはいない.むしろ彼らは,絶えず自分の問題や障害が大きすぎると,おおげさにあるいはひっそりと嘆いている.人生は楽なものであるべきだという前提に基づいて,「 自分が直面している困難は,どこにでもある ような困難ではない.どういうわけか,いわれもなく自分に,よりによってこの自分にふりかかってきた不幸なのだ」 と嘆くのである.われわれはそれほど賢明ではない.苦しみを恐 れ,問題を避けようとしたり,問題が消えてなくなるかもしれないと期待して決断を先延ばしにする.問題を無視し,忘れようとし,そんなことがないように振る舞う.薬の助けを借りようともする.この回避する傾向こそ神経症の一次的な基盤である.」(スコット・ペック)

 「神経症とは常に,当然引き受けるべき苦しみの代用物なのである(ユング)」
 

  しかし,その代用物そのものが,究極的には当然引き受けるべき苦しみよりも苦しくなる.そして神経症そのものが,最大の問題となるのである.この神経症の苦しみを避けようとして神経症の層をさらに重ねてゆく.

 

 スコットペックによれば,神経症に陥った人は,精神療法の助けを借りて,当然引き受けるべき苦しみを引き受ける方法を学ぶ必要がある.
いずれにせよ,問題に対処することから生ずる当然の苦しみを避けることは,問題が要請する成長をも避けることになる.神経症において成長が止まり,行き詰まるのは,この理由からである.治らなければ人間的な精神は萎縮する.