■アイデンティティ(自我同一性)identityとモラトリアムmoratorium

 

〇アイデンティティ(identity)

  教育心理学者ハヴィガーストは,人間が健全で幸福な発達をとげるために,各発達段階で達成しておかなければならない課題(発達課題 developmental task)があることを指摘した.特に青年期は,パーソナリティの形成の総決算の段階であり,「社会の中での」自分の役割や位置づけについての自覚を見出していかなければならない時期である.   エリクソン Erikson, E.H.(1959)は,青年期の発達課題を「アイデンティティ(自我同一性)」の確立とした.彼は「(発達段階のうちで)自我が,特定の社会的現実の枠組みの中で定義されている自我 a defined ego へと発展しつつあるという確信である.私はこの感覚をアイデンティティ(自我同一性)と呼びたいと思う」と述べた.(『自我同一性―-アイデンティティとライフサイクル』 誠信書房)

 

 

  Erikson (1950) によると,アイデンティティとは,

1.自分という人間は自分しかおらず,自分は一貫した存在として今日まで生き続けており さらに今後もその延長上を生きるであろうという「一貫性の感覚」

2. 1.の感覚の上に,自分という存在もしくは自分の生き方が,自分の生きているこの「社会によって是認」されているはずだという「意味・価値の感覚」を持つことである.

 

 そして「人聞はこうした二つの感覚を持ち,アイデンティティを確立して初めて安定感を持って生きていける」とした.

 

  このアイデンティティとは,自己の単一性,連続性,普遍性の感覚である.それは,意味ある同一化によって育まれ,集団での役割の達成や共通の価値観の共有を通じて獲得されるものである.それによって人は自己尊重感および肯定的な自己像を確立する.

 

 青年期には,これから向かうことになる「大人社会」に自己を位置づける必要がある.すなわち,この時期には,「自分とは何か?」「これからどう生きていくのか?」「どんな職業についたらよいのか?」「社会の中で自分なりに生きるにはどうしたらよいのか?」といった問いを通して,自分自身を形成していく必要がある.そして,「これこそが本当の自分の生き方だ」といった肯定的な実感のことをエリクソンはアイデンティティと呼んだのである.そしてその結果,自分が他者から対立・区分されていることによって,変化せずに等しくある「個の性質」を持っているという自信が形成される.

 

 これを日常語で言うなら「一人前」という言葉が一番近いように思われる.自我同一性(アイデンティティ)は当人の自覚のみで成立するものではなく,他者による承認という経験を必要とする間主観的な概念であろう(鈴木康夫).

 

   アイデンティティは,国家・民族・言語・帰属集団・職業・地位・家族・役割などの社会的な属性への帰属・関係によって自己認識する『社会的アイデンティティ』と,実存的な存在形式(私は私以外の何者でもなく唯一無二の存在であるという実存性)によって自己認識する『実存的アイデンティティ』に大きく分けられる.

 

  アイデンティティが正常に発達した場合に獲得される人間の根本的な性質として,エリクソンは「忠誠性」を挙げた.この忠誠性は様々な社会的価値や思想に自分の能力を捧げたりする事の出来る志向性である.これが正常に獲得されないと,自分のやるべき事が分からないまま日々を過ごしたり,誤ったイデオロギーに「忠誠性」が傾いてしまう.正常な発達ならば,青年には適切に選ばれた忠誠を誓えるような対象と自己の活動が残り,また否定的な部分は捨てられてアイデンティティとして確立する.

 

  私たち自身のアンデンティティの問題は,簡単に誰かに解決してもらうのではなく,苦しみながらも自分で自分を見いだしていくことが大事な道なのである.その努力の中から,この世でただひとりの自分の生きる意味が生まれてくるだろう.この意味こそ,他の人々と世界に生きていく土台である.自分を見いだしていく方法は,このように自分で探していくしかないのであり,誰もそれを外から教えたり,与えたりすることはできない.このようにアンデンティティの発見の道はつらくて困難だが,それだけに確立されたときの喜びも大きいのである.

 

  このアイデンティティの確立に失敗すると,役割混乱が起こって「同一性拡散(identity diffusion)」あるいは「否定的同一性 negative identity」「対抗同一性」 という病理が生ずる.また,親など権威を安易に受け入れて,アイデンティティの「早期完了 foreclosure (予定アイデンティティ・権威受容地位とも訳される)」という誤った状態も成立することになる.

 

〇行き過ぎた承認欲求---過剰適応と「自己顕示欲」の満足

  人から良く思われようと努力をしすぎていないか? 自己の本質を捨て承認欲求だけを追求することは,多くの問題を生むことになる.これが過剰適応(overadaptation)である.

外的適応:社会や現実の要求に応じて,自分の属性を変化させていく過程

内的適応:内面的に幸福感と満足感を経験し,心的状態が安定していること

過剰適応とは外的適応が重視されすぎ,内的適応を軽視した状態である.

  過剰適応者は,一見,環境に適応しているように見えるが,その内側は,不満や不安を抱えている.過剰適応者の心理は,嫌な奴だと思われるのではないか,周囲に受け入れてもらえないのではないか,という不安である.彼らは他者から良い評価を得ようとしている.すなわち,承認してもらうことである.この時,怒りや不満は抑圧されてしまう.この結果,抑圧された不満は心理・身体的な症状となって現れてくる.

 

〇モラトリアム(moratorium)

 アイデンティティが達成されるまでのまでの準備期間は,社会的な義務や責任を猶予されているが,これを「モラトリアム」と言う.エリクソンは,これを青年が様々に葛藤したりする戦いの時期として捉えた.当事者自身は心に大きな葛藤を抱えていると考えるのが正しいであろう.この時期に青年は,それまでに獲得してきた様々な自己の部分を整理しなおす必要がある.その結果,青年期は新たに出会う世界と関わりを結ぶことが可能になる.エリクソンは,モラトリアムにおいて必ずしも成功のみを賞賛しているわけではなく,不成功もそれなりに経験する必要性もあるとした.両者の統合したものが正常な成長に寄与することになる.

 


古典的モラトリアム心理

 旧来の秩序社会では,モラトリアムは一定の年齢に達すると終結することが当然のきまりであった.青年期から大人になることは,一時の遊びや実験ではなく,特定の社会的自己の確立(=アイデンティティ)を意味するものである.この結果,猶予は失われ,社会的責任が問われ,義務の決済が迫られることになる.古典的モラトリアムとは,確固たる大人の社会が存在して初めて,本来の目的を遂げるものである.この心理状態は以下のようにまとめられる.

 

   ①半人前意識と自立への渇望

   ②真剣かつ深刻な自己探究

   ③局外者意識を持ち,歴史的・時間的展望のできる時代

   ④禁欲主義とフラストレーション

 

  古典的モラトリアムは長い習練を必要とする職業に特有のシステムであった.しかし,これはほとんど消えかかっているように見える.現代の社会心理構造には二つの人間のタイプが見いだされる.上記のような古典的モラトリアムを経過し,何らかの管理社会体制(=組織)に帰属して,その中で明確な位置付けを保ち,社会に適応・同調する行き方をする人と,下記のような新しいモラトリアムに安住し,アイデンティティ拡散にまで陥ってしまう人の二者である.